2011年12月26日月曜日

南都焼討

「焼酎」じゃありません。「やきうち」です。

昨日、私用で春日大社に行くことがあって、高台からちらちらと近隣の東大寺興福寺を眺めながら、「確かに歴史は感じるけど、法隆寺と比べると建物が新しいからなぁ」と勝手に格下あつかいにしてしまいました。
もちろん、東大寺も興福寺も奈良時代にできた寺なのですが、どちらも現存する建物の大部分は鎌倉時代〜江戸時代に再建されたものです。ものによっては何度も燃えています。
解説などを見ると、特に激しく破壊されたのはタイトルにある南都焼き討ちのときだそうです。830年ほど前の出来事。

「南都焼き討ち?」
高校時代歴史嫌いだった私の頭では、霞の遙か彼方、そういえば聞いたことがある、という程度の記憶です。
家に帰ってから調べて見ると・・・なるほど、平清盛が平家に反抗する南都寺院を息子の平重衡に襲撃させたあれ、平家物語で知られる日本有数の内乱「治承・寿永の乱」の一部でした。

う〜ん。主犯は清盛さんじゃないですか。
我が郷里、津市生まれの数少ない歴史的超有名人じゃないですか。
(そういえば、 2012年のNHK大河ドラマは平清盛ですね。主演マツケンで。今年の主役、江姫も一時期津城で過ごしましたが、今度も特にロケはなさそうです。)

別に子孫でもなんでもないですが(というか、万一そうだったら、天皇家とも遠い遠い親戚になる可能性があるわけで。いや、そもそも清盛の家系は断絶したはず。)、今度参拝したときには「ゴメンナサイ」とお詫びしておこうと思います。

今日は、科学技術とも研究とも関係のない、とりとめのない話でした。

2011年12月21日水曜日

松井先生・平本先生来訪

NAIST科学技術セミナーの講師として来校された先生方のうち、ナノインプリントの研究で有名な松井真二先生が午前中、低分子有機太陽電池のパイオニアの一人である平本昌宏先生が終了後の夜に研究室を訪問されました。
慌ただしいスケジュールの中での訪問ではありましたが、当研究室の現在の様子を知って頂けたと思います。

写真は、当研究室で太陽電池関連テーマを担当している関東さんとともに写真に収まる平本先生です。
せっかくですので、研究室にあった先生ご執筆の本にサインもお願いしました。

御利益があることを期待してます!−>関東さん

2011年12月10日土曜日

教科書

修理に出していたMacBook Proの引き取りついでに、来期担当予定の講義の参考のための教科書を買いだしに行きました。
奈良先端大に来てからは、ちょっと珍しい本など買いに行く場合、たいていジュンク堂 千日前店に行きます。
大阪の人はよく知っているでしょうけど、この千日前店は「なぜここに巨大書店が?」と思えるくらいにぎやかなスポットにあります。
右の写真は、入り口のところでテレビの録画撮りをしている「ジャルジャル」(たぶん...間違ってないですよね?)のみなさん。
こんなロケ現場にも、よく出くわします。
何しろ、向かいが笑いの殿堂「なんばグランド花月」、下が「NMB48劇場」ですから。
そういえば、前回はNMBメンバーの撮影にも出くわしました。

いや、そういうナンパな理由ではなく、このジュンク堂の2階には、なんとか大辞典や岩波の歴史的な教科書まで、教科書・専門書類がかなりそろっているんです。
本日は、四冊で合計1万円ちょっとの出費でした。
もちろん、私費です。

最近、こういう専門書を置く書店がだんだん減っています。かつて大学の周辺には書店や古本屋が集まっていたのですが、それも閉店が続いています。それどころか、学内の書店までなくなってきています。
最近の大学生は本や教科書を買わないのだそうです。

教科書は、自腹で買ってこそ見返りに役に立つものを得なければと思って勉強しますし、心置きなく書き込んだり印をつけたりもできます。
大学レベルの教科書こそ、高いとは言え自腹で買うべきだと思います。凡人にとって、とてもすべて頭にはいるものではないですから、外部メモリとして後々のために残しておくという役割もあります。
加えて、知識や知的活動には正当な対価を払うべきです。
そういえば、自分が働いている、あるいは、働いていた会社に対して、発明に対する正当な対価を求める訴訟が一時期相次ぎましたが、あの方々は教科書やハンドブックをコピーで済ませたりしていないと信じたいです。

最後におまけ。
難波から奈良に向かう近鉄電車が生駒山を登るときの車窓からの眺めを貼っておきます。
写真ではあの雰囲気が出ないのがつらいところですが。

2011年12月5日月曜日

ボストン定点観察

MRS Fall Meetingは、私の知る限りずっとボストンばかりで開催されています。
数えてみると、最近10年間で7回参加していましたので、ほぼ毎年のように年末のボストンを訪れていることになります。
そこで、21世紀初頭の10年間にボストンの街およびMRS Meetingに生じた変化を、独断ではありますが書き連ねてみたいと思います。

・ボストン市内で日本車が増えた
もちろんカリフォルニアあたりに行けば80年代から日本車だらけですが、東部大都市の都心部では2000年ごろにはそれほど多くは見かけませんでした。特にタクシーなんてアメリカ車ばかりだったのですが、ここ最近になってタクシーが急激にトヨタ車に変わってきています。しかもハイブリッドです。
今日乗ったタクシーの運転手ともその点を話したのですが、以前のフォードと比べて一日走り回った後のガソリン代が20ドルくらい安くなったそうです。
ホテルの前に乗り付けるちょっとリッチそうな人たちの自家用車も、メルセデスやBMWはほとんど見かけず、レクサスか日産が多かったです。
これだけ目立つと、この前のトヨタバッシングのようなものを仕掛けよう(あるいは敢えて黙認しよう)と思う人がいても不思議じゃないですね。

・貧困状態の人が増えた
以前はダウンタウンをうろちょろしていてもあからさまに物乞いしている人はそれほど見かけませんでしたが、今年は会場近辺だけで2人も見ました。しかも一人はホテルの前でやって、ガードマンに追い出されていました。さらに、これもホテルの前で、社会保障関係で抗議してるデモ隊までいました。こういうデモに出くわしたのは、ボストンでは初めてです。
世界的に普通の人々の敵となっている(と私は思っています)アメリカ式新自由主義経済のせいで、足下までやばいことになってきているのではないでしょうか。

・携帯電話の変遷
10年ほど前のボストンでは、通話とSMSのみの小柄な携帯が主流でした。MRS会場の近辺で見る限り、2000年代前半のうちにブラックベリーなどのスマートフォンに変わり、次にみんなこぞってiPhoneに、今はそれに様々なアンドロイドフォンが加わってバリエーションが増えてきたという感じです。アメリカのビジネスマンは日本人よりはるかにガジェットについて新しもの好きですね。それにあわせて、ショッピングセンター通路のスタンドで売っているケースも売れ筋が変わってきています。MRSの会場がボストンのビジネスエリアなので、特にはやり廃りが速いのでしょうね。

・どこでもインターネット
これはボストンに限ったわけではありませんが、町中や乗り物の中などWiFiが使える場所がかなり増えました。
例えば、この記事を投稿しようと思ってブログを開けたのは、ボストンからデトロイトへ向かう上空です。書き始めたらかなり長文になったので、空中から更新はできませんでしたが...
まだ日本国内でWiFiが使える路線はないですよね。(自信はない)

・MRS Fall Meetingで日本人参加者が減った
10年くらい前だと、日米合同会議かと思うほど日本人参加者を沢山見かけたのですが、今年は特に少なかったです。
知り合いの日本人となぜだろうと話していたのですが、さすがに確かなところは言えません。おそらく、(1)次の春に応物との合同セッションがあるからそちらに流れた、(2)震災後に科学研究費補助金の交付が30%カット(その後結局復活しましたが)されたので、申し込み段階で参加する人数を絞った、(3)そもそも6月の参加申し込み時に震災後の対応でそれどころではなかった、のいずれかあるいは複数の理由によるのではないかと思っています。
ただし、企業の人はここ数年皆無といってよい状態になってきています。これも大問題。MRSは比較的実用化まで近い技術の発表が多いのに。

・Poster Awardに韓国からの発表が多く選ばれるようになった
もちろん、韓国からの参加者が非常に多い(特にPoster Awardの対象になる若い人の参加は明らかに韓国>日本でした)ということもあると思いますが、研究の平均レベルもすごく高くなってきていると思います。また、国や企業が大きな予算を出している研究も多く見られます。我々有機エレクトロニクス関連分野でも、基礎はともかくOLEDやRFIDタグなどの実用化研究は明らかに韓国に押されています。

なお、偶然ですが、この文章ここまでタイプしたときにランダムプレイ中のiPodから流れてきたのは'Boston'の名曲、More Than a Feelingでした。
… So many people have come and gone, their faces fade as the years go by …

2011年12月1日木曜日

2011 MRS Fall Meeting

(ほぼ)毎年恒例のMRS Fall Meetingに参加するために、ボストンに来ています。
今年は、次のSpring Meetingで応物学会とのジョイントがあるからか、何となく日本人の参加が少ないように思えます。

私の発表は、火曜日午後に無事終わりました。最近ヨーロッパ方面との交流のほうが多いのですが、やはり基礎的な話に食いついてくる人が特にここMRSでは減ってしまった印象があります。それでも、以前から交流があるFrisbie先生を始め、何人かのこちらの研究者とディスカッションできたので来た甲斐がありました。

シンポジウムUでの感想ですが、なんとなく皆さんの研究が発散してきて、大勢での議論にはならないという傾向は強くなってきています。今大勢が集まっているのは太陽電池のほうなので、それ以外は次を模索している段階でしょう。
このシンポジウム内で今回一番のお気に入りは、Stanford UniversityのSalleo先生の発表です。XRDを使って有機薄膜のparacrystallinity parameterを精密に評価し、キャリア輸送特性との関係を考察したものですが、ポリマー半導体の場合、よりディスオーダーの度合いが強い方が平均移動度が大きいケースがあるというところで納得。低分子薄膜でも、結晶粒界で特に律速されているものとそうでないものがあり、多結晶であるのに構造秩序性が高いものは結局粒界がより低抵抗になることがありますから。

写真がないのも寂しいので、ひとまずこれを。

これも毎回恒例、ロブスターです。
行きつけのシーフードレストランですが、今回は、一緒に行った李君と千葉大の酒井先生がボストン初めてということもあり、めいっぱいでかいやつを頼んでみました。これも円高のおかげです。
本当は、もっと小さいやつのほうがおいしいのですけどね。

2011年11月1日火曜日

Un-plugged Flexible E-paper Display

台湾のAU Optronics社がフレキシブル電子ペーパーの裏面にフレキシブル太陽電池を貼り合わせた「Un-plugged Flexible E-paper Display」なるものをFPDインターナショナルに出展したそうです。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20111026/199847/

有機TFTを使った電気泳動ディスプレイの裏面にフレキシブル太陽電池を貼り付けたもので、裏面に光を当てれば外部からの電源供給なしで動作するのがポイントです。残念ながら、太陽電池は有機ではなくアモルファスシリコンのようですが。
太陽電池は裏面でなくとも良いのでしょうから、まさにElectronics on Any Surfaceを具現化するものですね。

同社は、巻き取れる電子ペーパーも今回のFPDインターナショナルに出展しています。
嬉しいことに、こちらも有機TFTアクティブマトリックスです。
TFTの電界効果キャリア移動度は0.5cm2/Vs以上、しきい値電圧は1.5V以下、サブスレッショルド・スイングは1.5V/dec以下だそうな。フレキシブル基板上としてはかなり高性能ですね。

2011年10月24日月曜日

これは何でしょう?

ResearcherIDの機能で、「我々の論文を引用してくれた論文」の著者の所属住所を世界地図に記したものです。(このスケールでは、全てが表示されているわけではないようですが...)
南米やハワイを含めて、思っていた以上に世界中に広がっていました。最近、アメリカよりもヨーロッパで受けがよいように思いますが、確かにこれを見るとヨーロッパに集中してきています。
一方、最近論文大量生産国になってきた中国や韓国が今ひとつ少ないですね。

こうやって、世界中の人が(しかも場合によっては何年も何十年後までも)論文を読んでくれるというのが、まさに研究者冥利ですねぇ。

マイクロスケールのワイヤーの熱電特性

JAPから気になる論文を見つけました。
Unexpected size effect in the thermopower of thin-film stripes

金属薄膜を数十μm以下の幅にすると、ゼーベック係数が明確に小さくなるそうです。キャリア散乱の平均自由行程より何桁も大きいスケールでこういうことが起こるのは予想外ですが、半導体ナノワイヤーでもかつて加工のためのダメージなどで実験結果に統一性がなくなるという議論がありましたから、どうなんでしょうか?

もしこれが正しいとして、よりキャリアの局在性が強い有機導体/半導体ではこのようなことが起こりにくいと予想されますが、はたしてどうなるか。

2011年10月21日金曜日

このタイミングで停電

明日(10/22)は第2回入試の結果を受けての合格者オリエンテーションですが、タイミングが悪いことに翌日曜日が全学停電となるため、金曜夜の時点ですでにいくつかのWWWサーバーがストップしています。明日はほぼ全滅状態になるはずです。
明日来る予定の人にはすでに必要な情報は郵送されているのでしょうけど、なんでもすぐウェブで情報を得る時代なだけにちょっと不親切ですね。

2011年9月26日月曜日

Karlsruheへ

今日は、ESPMI-VIというコアなワークショップに参加するために、Karlsruheに来ました。今度はICとICEを乗り継いで、5時間近くの移動です。
前言撤回します。ICEも路線によっては車内がかなりうるさいですね。
特に、ハンブルグ近辺は比較的都市が多いのに飛ばすので、乗り心地もいまいちでした。

これから約3日間、ホテルに籠もってワークショップに集中します。(たぶん)

2011年9月24日土曜日

Bremenへ

金曜日は、共同研究の打合せのためにJacobs University of BremenのKnipp先生の研究室を訪問しました。
実はICEに乗るのは初めてです。
予想通り、日本の新幹線より客室内が静かでした。ICEは各車両にはモーターが付いていないですからね。ただし、揺れはそこそこあります。
最高速を出すのはだだっ広いところを走る時だけだったので、新幹線ほどはスピード感を感じませんでした。

途中1回乗り換えて、3時間ほどでブレーメンに到着します。
これは歴史あるブレーメンの中央駅舎です。対するJR奈良駅は...、ちょっと負けてますね。

打合せとセミナー講演の後、夜のブレーメンの街を案内してもらいました。
ブレーメンに来たら、ここは欠かせないでしょう。日本人なら誰でも知っているあのお話の銅像です。いや、正確に言うと、銅像の影です。こちらのほうがリアルですね。

2011年9月22日木曜日

KOSMOS Summer University 2011 その2

Summer University (というか気候的にはAutumn University)では、参加大学こそ限られますが、先端的な研究を進めている人たちの解りやすい講演が目白押しで、学生の人たちもお腹がいっぱいだったのではないでしょうか。
講演だけでなく食事も豊富で、こちらの面でもお腹いっぱいでした。
Summer Universityの中身は研究室で報告するとして、毎夜プログラムされていたイベントをいくつか紹介します。

これは、火曜日夜の「シンガポーリアンナイト」の様子です。
なんと、新装間もないシンガポール大使館で、大使の挨拶込みでパーティが開かれました。もちろん、入場時には入念なボディーチェックが。
他国の大使館に入る機会はほとんどないので、貴重な経験でした。



水曜は、フンボルト大に隣接するシンクロトロン放射光施設であるBESSYの見学と、そこでのパーティでした。
ここの写真を自分では撮らなかったのが残念ですが、中の雰囲気としてはSPring-8をちょっと小振りにした感じです。
本筋じゃないですが、日本のシンクロトロンは私が知る限り全て上から見て反時計まわりに電子が回転していますが、ここでは時計回りでした。もしやなにか意味があるかと思って質問してみたら、日本では車が左側通行だけどドイツでは右側を走っているようなものだ、という答えでした。
個人的には、反時計回りのほうが、野球で右バッターボックスに入って、左から来るボールを見ているような配置になるので、落ち着きます。

木曜の夜は、「ジャパニーズナイト」です。これは、ベルリン日独センターという、かつての中曽根総理とコール首相の提案により設立された日独の交流のためのセンターです。
ここで面白かったのは、ドイツの大学で日本の政治を研究している教授と学生が日本の政策について講演するというイベントでした。政治経済の用語での質疑応答はちょっと苦しかったですが、他国の人文科学系研究者とお話しする機会など滅多と無いので、面白かったです。やっぱ、人文系の人たちは記憶力と言語能力が高いですねぇ。

2011年9月20日火曜日

KOSMOS Summer University 2011

現在、Humboldt-Universität zu Berlinで開催されているKOSMOS Summer University 2011: Frontiers of Organic/ Inorganic Hybrid Materials for Electronics and Optoelectronicsに参加しています。
ドイツ、シンガポール、日本の有機エレクトロニクス(の物理?)を研究する大学院生達が集まって、月曜から金曜まで講義とディスカッションとパーティー漬けになります。
今回は、千葉大G-COEのメンバーとしての参加(松原助教と李君も)でしたが、次回はNAISTとして参加したいと思っています。



土曜からプレイベントはあったのですが、今日は本開催の初日ということでまずは講義たっぷりの一日でした。
それでも、夕方には、第二次大戦前に風洞実験に使われていたという建造物を利用してのコンサートがあり、その後にビュッフェでみんなそろってディナーとなり、お祭り気分は十分です。




明日は、私も講義しないといけないので、今晩はスライドの整理をして早く寝ます。

2011年9月13日火曜日

ペーパー太陽電池

紙の上に印刷技術で作製した折り曲げられる太陽電池が一部スジで話題になっています。


最近、メガソーラーと称して太陽電池を一カ所に大量に集積した、いわゆる集中型電源としての利用が盛んになってきていますが、やはり太陽電池は、分散型電源あるいはオンサイト型電源として、使用する場所で発電するほうがメリットが大きいと思います。
なにも紙である必要はないと思いますが、このように軽量な太陽電池を折りたたんだり丸めたりして個人で持ち運べるのは魅力的ですよね。

この動画もなかなかインパクトがあるのですが、それにも増して関心するのは、MITがYouTubeを効果的にPRに使っていることです。
NAISTでもやったほうが良いかも。

2011年9月10日土曜日

この夏の成果

8月のゼミ旅行でみんながロクロと格闘した成果が、ついに届きました。 なかなかの出来映えだと思いませんか? 中には売り物になりそうなものもあります。
もちろん、私が作った研究室の看板は、E201の入り口にて展示中です。 さて、次は研究成果を世に出さなくては!

Go west!

住民基本台帳人口移動報告によると、大阪、京都、兵庫、奈良4府県(大阪圏)が5カ月連続で転入超過だそうです。これだけ転入超過が続くのは、かの大阪万博が開かれた昭和45年以来とのこと。やはり震災の影響があるんでしょうね。

ちなみに、3〜7月合計の「転入者−転出者」の数は9995人。
このうち5人が当研究室です。これは震災とは関係ないんですが...

2011年8月21日日曜日

奈良県の歴史的建造物

最近、サイエンス&テクノロジーネタが少なくって恐縮ですが、今回も雑談ネタです。

外国の知人と話をする際に、最近は必ず地震と原発事故のことを聞かれます。
原発はさておき、地震については「少なくとも奈良県は大丈夫」と答えます。その根拠としていつも言うのは、「だって、1000年オーバーの木造建築がいっぱい残っているから」。
でも、実際のところ法隆寺と正倉院くらいしか自信がなかったので、どんな建物があるか調べてみました。
(木造建築に限ってリストアップし、建築年は正確でないものもあります。)

法隆寺 西院伽藍(斑鳩町)・・・7世紀後半
法起寺 三重塔(斑鳩町)・・・706年頃
薬師寺 東塔(奈良市)・・・730年
海龍王寺 西金堂(奈良市)・・・731年ごろ?
正倉院 (奈良市)・・・756年ごろ
新薬師寺 本堂(奈良市)・・・747年
東大寺 法華堂(奈良市)・・・748年ごろ
栄山寺 八角堂(五條市)・・・763年
當麻寺 三重塔(葛城市)・・・8世紀?
唐招提寺 金堂(奈良市)・・・8世紀
室生寺 五重塔(宇陀市)・・・800年ごろ

まだまだあるのかもしれませんが、今回調べるまで知らなかったお寺もいつくかあります。
もちろん、どの建物も人々が修繕を繰り返してきたからこそ現存しているのでしょう。改めて良い物を大事に長く使うことの大切さを実感しました。

2011年8月9日火曜日

ゼミ旅行

先週は、ゼミ旅行で白浜まで出かけました。
やっぱり、夏は海!ですか。
台風で波は荒かったですが、この日は晴天に恵まれて気持ち良い暑さでした。

ご存じ三段壁です。この後洞窟に降りたのですが、大波が洞窟に打ち付けて迫力満点!

二日目は陶芸にチャレンジ。思った通りのものが出来た人、ビアマグがどんぶりになった人、様々でした。

一人だけろくろを使わずに、研究室の看板らしきものを作ってみました。色つけして焼き上がったところが楽しみです。
どうか割れませんように....

2011年7月21日木曜日

Knipp先生来訪

投稿が遅くなりましたが、7月21日に、ドイツ Jacobs University BremenのProf. Dietmar KnippがNAISTに来られました。
Knipp先生は、各種半導体デバイスの電気的評価と動作解析を得意とされている研究者で、かつてアメリカでは有機FETを精力的に研究しており、最近は無機太陽電池にも研究を拡げています。



せっかくの機会ですので、光ナノサイエンス特講の一貫として、学内で講義をお願いしました。太陽電池における基板テクスチャの効果を、FDTD法を用いたシミュレーションで詳細に解析した結果について、判りやすく解説して頂きました。

出席が単位になるドクターコース院生以外にも、いろいろな研究室から30人近い人達が集まりました。

講義終了後、当研究室の学生の人達としばし談笑。
Jacobs University Bremenは、ドイツでは珍しく授業などがすべて英語で行われ、学生も外国人が大半を占める大学です。そのせいか、英語がおぼつかない学生をあしらうのに慣れておられる様子でした。
研究室の学生の皆さんにも良い経験になったことでしょう。



Thanks, Prof. Knipp!

2011年7月17日日曜日

大阪国?

いや〜、きっかけとしては「大阪国」って発想に引っかかって、プリンセス・トヨトミの原作を買ってしまったところからです。

出張などの移動中には、あまり重くない(実際の重量も。だから必ず文庫本です。文庫本にしても厚み5cmくらいになる超多筆の某有名作家の作品はぜったい読みません。)小説を読んで過ごすことが多いので、だいたい月2〜4冊くらいは売れ筋小説を読むのですが、この作者である 万城目 学 氏のことはいままであまり知りませんでした。

映画の宣伝に騙されてプリンセス・トヨトミを読んでみた結果、当初予想を大きくはずれ、はまってしまいましたよ。直木賞候補ということで、そもそも純文学的な重い心理描写がないのは予想どおりですが、思ったよりも深い。その深さが、軽妙なストーリーで客を飽きさせないが、最後にはほろっとさせて、後で少し考えさせられる、というまさに娯楽映画向けにちょうどよい塩梅です。

この人を知らなかったのはもったいないことをした、と思って他に何を書いているか見てみたところ...「鴨川ホルモー」、「鹿男あをによし」。
知ってるやん!
いままで、原作者が誰かを気にしたことがなかっただけでした。さっそく、鹿男あをによしも原作を読んでみました。やっぱり、あれは雌鹿がおっさん声でしゃべるところがポイントですね。

舞台がそれぞれ大阪、京都、奈良、ということでも親近感がわきますが、さらに万城目氏はどうやら私がかつて勤めていた会社に在籍していたことがあるらしい。(公式プロフィールなどには社名は出てきませんが、いろいろな情報からの推測です。)今後も陰ながら応援させて頂きます。

ちなみに、ロザンの宇治原とは大学の同級生だそうです。芥川賞作家もでたし、京大法学部は作家の大供給源になってますねぇ。

2011年7月11日月曜日

OB訪問

この春千葉大で修士修了し、あるメーカーの亀山事業所に配属されたM君が、土曜日に突如研究室に現れました。

写真は、後輩達と白々しく笑うM君(中央)。

会社でも新人のうちはあまり責任がないですから、研究室時代より楽に感じるかもしれません。それも1、2年の間だけなので、今のうちに羽を伸ばすとともに、自己研鑽を怠らないようにして下さい。

ところで、イニシャルにしてもあんまり意味はないのですが、個人情報保護がうるさく言われる昨今、一応イニシャルにしております。

2011年7月4日月曜日

研究室公式ウェブページをリニューアル

4月以降、ずっと前所属のときに作製したものをベースにコンテンツだけ入れ替えたものを研究室のウェブページとして公開していましたが、このたび全面リニューアルしました。
今回はプロにお願いしましたので、デザインと基本構造がすっかり現代的に生まれ変わりました。
皆さんの印象はいかがでしょうか?

リニューアルを機会に、全メンバーそろって先日撮影した集合写真も「メンバー」のページに掲載と相成りました。
これは公式ページに採用された、ニュートンモールの果ての高山サイエンスプラザに登る階段で撮った写真です。
本当は、もう少しよそ行きの写真もあったのですが、誰かが目をつぶっていたり、風で髪型が乱れすぎていたり....


ちなみに、公式ページではボツになったバージョンも、ここに載せておきます。

まずは、最後まで候補に残したこれ。
高山サイエンスプラザの正面ガラス壁に映る、ご存じあの方のお顔です。
なかなか気に入っているのですが、太陽の当たり具合が中途半端なのと、これじゃメンバー集合写真だと判ってもらえないだろうということで、ボツになりました。


ちなみに、最もお遊びに走っているのはこれ。
さすがに、何の写真なんだか.....

2011年7月2日土曜日

グリーンデバイス研究室キックオフパーティー

全ての予定されたメンバーがそろい、千葉から装置もひととおり移転されたところで、昨夜はキックオフパーティーを開催しました。
たまには、人混みに出ようということで、みんなで心斎橋まで移動!(写真はイメージです)

ところが、今日の主役の一人、最後に合流したメンバーであるT君が来ない。
東急ハンズで実験に使う素材の買い出しをお願いしたこともあって、これは慣れない大阪に迷ったか?と思ったのですが、どうやらただの寝坊でした。
夜8時の集合に寝坊するか!?

私は終電までに帰りましたが、みんなはいずこへ行ったのやら...

2011年6月29日水曜日

実験室移転(その2)

なんとも忙しくってblogを更新する余裕がないのですが、ちゃんと実験室移転は完了しました。
しかも、この梅雨時にもかかわらず、荷出しも荷入れもまったく雨に降られなかったのは幸運でした。

これがサンプル作製室です。
主にドライプロセスで薄膜やデバイスを作製する装置たちが収まっています。
この中のいくつかは、E棟2階にクレーンでつり上げました。
こちらはサンプル評価室です。
作製室とともに、まだまだ余裕のレイアウトですね。
これから少しずつ装置が増えていくと思います。

なお、奥に見える小窓は、当研究室で最も眺めの良い窓です。
ここで測定ができるK君が羨ましい。



この二つの部屋の間に、学生居室があります。
これは、なんだか嬉しそうなM1の人たち。



これらの部屋のほかに化学実験室がありますが、そちらはまだ未完成です。

2011年6月22日水曜日

いよいよ実験室移転

5月から6月にかけて、物質E棟での実験室改修、一部分光装置関係移転などがありましたが、今日22日ついに実験室本隊の搬出が千葉で行われました。
写真は、12号棟から荷物を搬出するために並んだトラック群です。高速道路などでたまに見かける「超精密機械搬送中」って書かれたエアサストラックですが、これが5台もそろったところは初めて見ました。


こちらは、工学系総合研究棟からの搬出風景です。
梅雨の晴れ間を縫って、なんとか雨に降られずに移転する全ての装置や荷物が無事積み込まれました。みなさん、さすがプロフェッショナル。
午後3時ごろには全て積み込み終わり、一路西へと旅立っていきました。

話が脱線しますが、これらの実験機器の消費電力は最大値でリストアップされていたため、この移転によって学科の電力使用量削減目標を余裕でクリアしたそうです。実際には、そこまで電力を使っていなかったと思いますが。

さあ、明日は奈良での搬入作業です。

2011年5月22日日曜日

SID2011から

49th SID International Symposium, Seminar & Exhibition (SID2011)から気になるトピックを簡単に紹介します。
(なお、日経BP社のTechOnの記事にリンクを張っていますので、詳細な情報はそちらをご覧下さい。登録が必要ですが無料です。)

ソニーが有機TFT駆動のフレキシブル電子ペーパーを開発
アクティブマトリックスに、ウェットプロセスで作製した有機TFTを使っているそうです。ウェットプロセスながら、TFTとしての性能も高いようです。
有機TFTが製品に搭載される日が待ち遠しいですね。

東芝がフレキシブル有機ELパネルを開発
こちらは表示素子は有機ですが、TFTマトリックスは酸化物半導体(IGZO)です。フレキシブル基板上では、有機半導体とどちらが先に製品化するでしょうか?

ソニーが13.3型の曲がるカラー電子ペーパーを開発
こちらはTFTはアモルファスシリコンで目新しくないですが、前面パネルのE Ink社によるフルカラー電子ペーパー(いわゆる電気泳動型の反射型表示デバイスです)の性能をフルに発揮する総合技術として優れたものです。
フレキシブル電子ペーパーと言えども今更単色表示では魅力に乏しいですから、カラー表示性能の向上で電子ペーパーも普及が進むのではないでしょうか。

2011年5月21日土曜日

NAISTの風景(キャンパス編)

いよいよNAISTでの新研究室が始動開始です。
今回は、学外の人のために、我々が日頃見るキャンパス内の風景を紹介します。


ここがNAISTの正門です。
このゲートの三つの山は学旗のデザインと同じで、「万葉集で謳われた大和三山と本学の最先端科学技術を担う3つの研究分野を表して」いるそうです。


正門に向かって右側の景色です。この道をずっと道なりに進んで、丘の上の住宅地を抜けると学研北生駒の駅です。
毎日駅から歩くと、そこそこの運動になります。


正門から奥に進むと池があり、そこを右に曲がると我らが物質棟です。
向かって左側がF棟、右側が我々のいるE棟です。
写真では遠くて解りませんが、正面入り口の庇が異様に長いのは何故でしょうか?


内部の本格的な紹介は次回に回しますが、ここが中村のサテライトオフィスです。
研究科内のいろいろな事情を勉強する大事な場所です。
喫煙者からの情報に偏るという難点はありますが...


昼食の選択肢は残念ながらあまりありません。
弁当でなければ、普通はこの大学会館にある食堂で食べることになります。気候の良い時期には、オープンカフェも心地よいです。


ある日の定食メニューです。
ここは単品ものより日替わりの定食がオススメです。夜は夕定食もあります。


昼食後は、事務棟わきのここで一服するときもあります。
右手に見えるのはミレニアムホールです。
どの建物もこれでもかというくらい徹底的にグレーですが、ほとんどの建物はよく見るとワンポイントで色が入っています。もっとよく見ると、さらに意外なところにもワンポイントで遊んだデザインがあります。でも、それを粋だとは意地でも考えたくないです。


これは物質棟玄関から真っ直ぐ大学会館の横を抜けて高山サイエンスプラザに至る「ニュートンモール」です。なぜ「ニュートン」と名付けたのかは依然として不明ですが、途中右手に胸像が鎮座しています。
ちなみに、ニュートンモールを重力に逆らいつつ進んで位置エネルギーが最大に達したあたりで、今度は「アインシュタイン」に出会えます。まさか、設計者がそんなことを考えながら一人にやにやしていたとは、意地でも考えたくないです。
途中、両側には、テニスとバスケのコートや野球のグラウンドがあります。


ニュートンモールの途中で右に折れると、寮のエリアに向かいます。
左手前にあるのは、来訪者用のゲストハウスです。1Fには簡単なトレーニングジムもあります。
右奥のほうに見えるのが学生寮です。





6月に研究室の整備がひととおり済んだら、次は研究室まわりの写真を紹介します。

2011年5月1日日曜日

2011年度の学会・国際会議など

今年度開催される当研究室に関係の深い学会・国際会議等をリストアップします。
※時々情報が更新されますので、ご注意下さい。
※覚え書きとして、すでに投稿締め切りが過ぎたものも書いてあります。

院生の皆さんも、どこで発表するかの目標を定めましょう!

International Conference on Organic Electronics (ICOE 2011)
2011/6/22-24 Roma, Italy
アブストラクト締切:2/28(終了)
レジストレーション締切:5/31

The Eighteenth International Workshop on Active-Matrix Flatpanel Displays and Devices (AM-FPD11)
2011/7/11-13 京都, Japan <<開催場所が東京から変更されました>>
アブストラクト締切:3/14 (終了)
レートニュース締切:5/16
レジストレーション締切:
※招待講演として中村発表

The 10th International Symposium on Functional π-Electron Systems (F-π-10)
2011/10/13-17 Beijing, China
アブストラクト締切:3/20 (終了)
レジストレーション締切:

2011年秋季 第72回 応用物理学会学術講演会
2011/8/29-9/2 山形大学小白川キャンパス
アブストラクト締切:6/5
レジストレーション締切:7/29

The 6th edition of the international workshop on Electronic Structure and Processes at Molecular-Based Interfaces (ESPMI-VI)
2011/9/25-28 Karlsruhe, Germany
アブストラクト締切:6/10
レジストレーション締切:8/25
※招待講演として中村発表

2011 International Conference on Solid State Devices and Materials (SSDM 2011)
2011/9/28-30 名古屋, Japan
アブストラクト締切:6/13 24:00 <<締め切り延長!>>
レートニュース締切:8/8 <<締め切り延長!>>
プロシーディングス締切:?(JJAP)

2011 MRS Fall Meeting
2011/11/28-12/2 Boston, USA
アブストラクト締切:6/21

International Symposium on Surface Science (ISSS-6)
2011/12/11-15 東京, Japan
アブストラクト締切:7/31
レジストレーション締切:11/11

薄膜材料デバイス研究会 第8回研究集会
2011/11/4-5 龍谷大学 アバンティ 響都ホール(京都市)
アブストラクト締切:8/31
レジストレーション締切:10/23

2012 MRS Spring Meeting
2012/4/9-13 San Francisco, USA
アブストラクト締切:11/ ??

2011年4月19日火曜日

高校数学でわかる半導体の原理

ふと気が向いて、「高校数学でわかる半導体の原理」(講談社ブルーバックス、竹内 淳 著)なる本を読んでみました。
タイトルを見て「高校生に解るように書くと、その手の本によくあるように解ったような解らないような中途半端な説明にしかならんだろ?」と思いつつ読み始めたのですが....
とんでもない!
電気電子系の大学学部レベルで習う半導体に関するエッセンスは、ほとんどすべて詰まっています。しかも、説明が解りやすい。

大学で半導体を習ったことがない人だけでなく、すでに専門科目の初級レベルをクリアした人にも一度読んでみることをお勧めします。何カ所かは、「ああ、あれはそういうことだったのか」という再発見があるかもしれませんよ。

通販でも買えますので、リンクを張っておきます。
講談社
Amazon
紀伊國屋書店

来月の「実験実習」でも、参考書として使おうかと考えています。

MN

2011年4月17日日曜日

「LED電球」など使用インプレッション(その2)

昨年7月の「LED電球」など使用インプレッションの続きです。
その後身銭を切って試したものについて、感想などを書いてみます。

・三菱電機オスラム ハロゲンエナジーセーバー JD100V45W/P/L

 光色 電球色
 口金 E26
 定格消費電力 45W
 全光束 810 lm
 色温度 ?
 質量 29g
 定格寿命 2,000時間

これは変わり種で、自動車のヘッドライトなどでよく使われているハロゲンランプを白熱電球の規格・サイズに納めたものです。電球の殻の中に普通のハロゲン球が入っています。基本的には白熱電球の一種ですから、重さや温度や調光機能などの制約のために普通の白熱電球しか使えなかった場所で、すこしだけ「エコ化」ができます。
同じ明るさだと、20〜25%の節電と2倍程度の寿命が見込まれます。
使ってみると、電球の軸上にやや暗い場所ができることを除けば、色も明るさも60Wの白熱電球と全く遜色ありません。これの33Wタイプのものでも485lmありますから、これまで60W白熱電球を使っていたところに、多少暗くなることをガマンして33Wタイプのものを使うのもありかと思います。
オスラムって自動車用ライトでは有名なドイツの会社ですが、これを見ているとメルセデスがディーゼルエンジンでの低燃費化にこだわっていたのを思い出しました。


・オーム電機 TELAS LB-L60T-L (6.0 W、「電球色相当」)
※中国製で輸入元はオーム電機ですが、同社のサイトには載っていません。
 検索しても通販サイトしか出ないので、リンクは遠慮させて頂きます。

 光色 電球色相当
 口金 E26
 定格消費電力 6W
 全光束 330 lm
 色温度 ?
 質量 90g
 定格寿命 55,000時間

この製品の売りは、チラツキの無いインバーター電源を使用しつつも、弱点であった電解コンデンサを使っていないところです。インバーター電源の寿命は電解コンデンサがネックとなっている場合が多いようですが、これを使わないことで寿命が長くなることに加えて、温度上昇に対して強くなるため、密閉型の器具でも安心して使えるようになります。寿命の長さには、LEDが日本製であることも有利に働いているのかもしれません。
放射パターンは、まあまあ広いほうです。あと、値段が安いことも魅力です。
漏れ磁界はやはりありますが、以前計測したパナソニック EVERLEDS LDA7L-A1よりやや小さいようです。
難があるとすれば、この「電球色相当」が相当に黄色いことでしょうか。部屋中の照明をすべてこれにすると、明らかに黄色みが強く感じると思います。
なかなか、パーフェクトな製品は出てきませんね。

なんにしろ、安いLED電球が普及して白熱電球に置き換わっていくことで、消費電力が減るのは良いことです。
特に、東京電力、東北電力管内は、しばらく節電しなければなりませんし。

MN

2011年4月10日日曜日

Green Device Science Lab. のウェブページができました

研究室正式発足は5月ですが、4月からグリーンフォトニクス研究プロジェクトが始まり、松原助教も赴任しましたので、先に研究室のウェブページを立ち上げました。
なにしろ忙しい中で急ごしらえですので、実のところ前所属である千葉大学・分子機能デバイス分野のウェブページとそっくりです。
たぶん、急ごしらえでなくっても、同じ人間が乏しいHTMLの知識で作っているので、こんなもんでしょう。お許し下さい。
追々、内容とデザインを充実させてゆくつもりです。

MN

2011年4月4日月曜日

電力東西貿易

2月13日の投稿で東京一極集中の弊害を控えめに主張したところですが、偶然にもその1ヶ月後の東日本大震災の影響で関東の電力供給がピンチです。4、5月はなんとか持ちこたえるでしょうけど、この夏の電力ピークはどう慌てても交代での停電が避けられそうにないです。
すでにあちこちで報道されているように周波数問題があるので、中部電力や関西電力からは微々たる量しか融通できません。周波数変換設備を増設しようにも、巨大な光トリガサイリスタを急には増産できません。(そもそも工場が被災しているらしい。)
この問題に限らず、日本では電源開発予算の大部分を原子力につぎ込んできたおかげで、ヨーロッパ各国(フランスを除く)と比較して自然エネルギーの利用率が低いままです。これも将来的になんとかすべきでしょう。

そこで提言。
巨額の原子力予算を、原発の後片付けのための予算を残して削減し、それを自然エネルギーの研究・開発と普及のために使いましょう!(当研究室でも太陽電池の研究を前倒しで再開しようと考えています。)
今すぐできることとして、太陽電池パネルを増産(特に西日本)して国の予算で買い上げて、東日本の事業所や一般家庭に次々と設置していきましょう!
太陽電池は発電方式としては安定性に欠けますが、最も電力が必要な夏の昼間に最も電力を供給できます。これによって、数年は続くと予想される東京電力の夏の電力不足が少しでも解消します。
太陽電池は一般にエネルギーペイバックタイムが長いのが省エネ的には難点ですが、西日本で作って東日本に設置すれば周波数変換設備で西から東に電力を送るより効率的にエネルギーを「輸出」できます。

もちろん、これを機会に東京一極集中を緩和してゆくことも必要ですね。

MN

2011年3月22日火曜日

What you can do

約2年前に書き込んだ内容ですが、今こそこの言葉の重みを感じます。

Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.

私ができることは、最低限自分と家族の身は自分の責任で守ること、その上で、できるかぎり研究と教育を継続することです。

NM

2011年2月13日日曜日

閉塞感はどこから来るか?

バブル崩壊以降の20年間、日本社会の閉塞感がじわじわとですが確実に強まってきて、いっこうに明るい雰囲気が漂わないですね。特にここ2年くらいは、企業の採用までどんどん萎んできて、大学生にも閉塞感が漂っています。
ここらで、「平成維新」とも言うべき大改革をやらなければならないのではないかとすら思います。

衆議院議事録の第156回国会 国会等の移転に関する特別委員会 第4号に、経済企画庁長官も勤めたことのある堺屋太一さんの有名な参考人意見の議事録があります。ちょうど8年前の委員会です。ここに、私も前々から感じていることのかなりの部分が、私よりはるかにすっきりとした頭で消化した上で述べられています。つたない文章を自分で書くより、これを読んでもらったほうがよほど解りやすいので、私の無駄なコメント無しに、転載させていただきます。

MN

(ここから堺屋太一さんの発言)
 首都機能移転の問題につきましては、私、二十年ぐらい研究をしてまいりまして、十年ほど前に、この移転に関する法律案も作成していただきました。ところが、その趣旨が徐々に変わってまいりました。
 そもそも、この首都機能の移転は、日本の経済、社会、文化の各面を抜本的に変更しようという大国家事業として考えられました。
 戦後、日本は、規格大量生産型の近代工業社会の確立を目指して、官僚主導、建設優先、東京集中の体制をとってまいりました。この結果、八〇年代には、日本は世界一規格大量生産の上手な国になり、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこともございます。しかし、その八〇年代のうちに世界の文明が変革をいたしまして、多様な知恵の時代になってまいりました。それにふさわしいものに日本を改革しなければならない、そういった発想から、この首都機能移転の問題が不可欠であるという考え方が生まれてきたわけであります。この考え方は、現在の世界、日本の情勢に関して、全く正しいものだと考えております。
 ところが、九〇年代も後半に入りまして、首都機能移転の問題が政府、審議会で議論されるようになりますと、場所の選び方と費用の問題に話題が集中いたしました。このために、話が徐々に、東京の過密防止と地震対策に矮小化されてまいりまして、公共事業の一種と理解されることが多くなりました。これが最大の問題、間違いの始まりであります。
 このため、東京の過密防止ならば移転する人口が一定以上多くなけりゃいかない、大規模でなければならないという考え方が生まれてまいりました。
 また、場所選びということから各地が立候補なさいまして、そのために地域運動と考えられるようになりました。これは、六〇年代、富士山のすそ野がいいとかいろいろ言われたときはまさに地域運動であったんですが、そこへ戻ってしまった。文明の変化に対応した事業ではなくなってまいりました。これに対して、東京の不動産業者及び東京で受注の多い建設業者が組織的な反対をし出したことは、むしろ当然であったと思います。
 ここで重要なことは、首都機能の移転問題の本質に立ち返りまして、経済、社会の構造変革の国家的事業として正確な審議をお願いしたいということでございます。当委員会が新たに人数をふやし発足されましたことに、非常に期待しているところであります。
 これから申し上げようと思うことの趣旨を、一言にしてまず最初に申し上げておきたいと思います。
 東京一極集中は、一九九〇年以降の日本の経済が停滞し、社会が混迷しております重大な原因であります。これは、あらゆる検証で証明されているところであります。
 知価社会が深まるにつれまして、諸外国では、政治と行政の中心と経済や文化の中核とが分離分散する方向にあります。その中で、日本だけが全機能を東京に一極集中して、規格大量生産型の構造の強化をしております。このために、多様な知識、知恵が創造されない。そして、迅速で安価な通信情報は発達しない。いつまでたっても対面情報、人に会わないと情報が交換できないという困った情勢になっております。
 特に近年に至りまして、過去二十年余、地方分散、地方分権が熱心に唱えられてきましたが、現実には、官僚機構が非常に強力に東京一極集中の政策をとっておりますために、地方は空洞化いたしました。東京一極集中は自然に行われているのではなくして、後に述べますように、官僚の大変な努力によりまして起こっていることでございまして、日本特有の現象であります。
 特に、九六年以降、経済、文化、情報発信、国際関係の一極集中が非常に急激になりまして、地方の経済、文化が危うくなるばかりか、日本の文化的多様、創造性というものが失われてまいりました。
 したがいまして、通信情報社会の発達、これがこの十年間の大変な世界の流れでございますけれども、この世界の急速なグローバル化、情報化に対しまして、通信情報社会の迅速、公平、正確、透明、安価な情報交換が必要になっています。こういったことを日本も行わないと、日本飛ばし、日本の国際的な地位の低下が猛烈な勢いで進んでおります。

 そこで、私がこれから提案したいのは、実は一番本音のところでございまして、立法、司法、政府の機能を三つに分割して移転するのが最良であるということでございます。
 まず、国家の機能の中には、立法機能と、それに関係の深い行政府の政策の企画審議機能、これをA機能あるいは企画審議機能と申してもいいでしょう。そういうものと、第二番目に、行政機能のうちで、統計、調査及び基礎的な研究を行う機能、これをB機能または統計調査機能と呼べると思います。そして、司法と、それにかかわりの深い行政府の記録、保全の機能、保記機能、C機能との三種類の機能があります。
 この三種類の機能をそれぞれ別個の場所に移転する。そのことによりまして日本の通信情報社会を徹底させるとともに、財政の抜本的な改革、文明の大幅な前進を期待したいところであります。また、そういたしますと、地震やテロに対する災害対応力も非常に高いものになると思います。
 さらに、首都機能の移転のコストがよく問題になりますが、この方式でございますれば、総事業費大体三兆円、公的負担が一兆円前後ということになります。
 これに対しまして、現在、東京にございます首都機能関係の行政財産の土地評価が四兆七千億円ございますから、これの二分の一を売っても二兆三千億円の収入があります。残り二分の一は東京の開発、安全のために使用するといたしまして、二兆四千億円。そのほかに、公務員宿舎の土地など約七千億円がございますが、そういったものを活用して東京を活性化していく。
 そういたしますと、費用が一兆円少々、収入が二兆三千億円以上でございますから、財政には一兆三千億円以上の収入があります。
 首都機能の移転は、まず、そういう移転による財政の収入が非常に高まる、これが第一であります。また、その後の運営費等、かなり細かい計算でございますが、財政の抜本的な改革の現実的な唯一の方法ではないかと考えております。
 以上のように、首都機能の三機能分離移転はいろいろな効果があります。
 まず、通信情報社会を形成して、日本の国を公平で迅速で安価で正確で、そういう情報社会に変えることができます。
 二番目には、清潔な政治行政ができます。そもそも、日本の政治行政にさまざまな問題がありますのは、何よりも対面情報、つまり、人脈を通さないとなかなか情報が得られない。東京に出張してきて、あるいは東京に居住や本店を移しまして、常に官僚と顔を突き合わせていないと情報が得られない。この不公正さがもとでございます。これが完全になくなります。
 また、多様な知価の創造が生まれます。いろいろな地域、いろいろな環境の中から新しい知価が創造される。東京一極集中によりまして頭脳機能が東京のごく狭い範囲に閉じ込められている、この状況が打ち破られまして、開放的なことになるでしょう。
 そして、地方分権、地方分散が確実に実行されます。
 また、災害対応力が非常に強まります。
 そして、先ほど申しましたように財政が大幅に改善できます。
 以上のことから、首都機能の移転は非常に必要かつ重要な仕事だと考えております。

 さて、改めて首都機能の移転を申し上げますと、東京一極集中では、日本経済の復活、日本社会の復活はあり得ないだろう。これまで、平成になりましてから十五年間、十一人の総理大臣がいろいろな改革を宣言してまいられました。しかし、依然として十分なことはできておりません。それというのも、日本の社会というのが、東京一極集中、官僚主導、そして建設優先という日本の戦後の形に完全にはまり込んでいるからであります。
 日本の歴史をひもときますと、あらゆる時代が首都機能の場所で呼ばれています。飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして今、東京時代でありますが、この状況を見ますと、すべて、首都機能が移転したら必ず時代が変わった、首都機能を移転しない限り時代は変わらなかったことを示しています。
 例えば、江戸から東京に移るとき、黒船がやってまいりましたのは、嘉永六年、一八五三年ですが、それから十年間は何の変化も起こっていないんです。安政の大獄等いろいろございましたけれども、行ったり来たり、むしろ保守化が進んだだけであります。
 ところが、文久三年、一八六三年に、将軍家茂と、その後見役でありました後の十五代将軍慶喜が京都に移転します。それに伴って、諸大名、有力大名もことごとく京都に移転します。したがって、このとき首都機能は完全に京都に移転したんです。それからの五年間、明治元年までの五年間にすべての改革が行われました。
 そして、改めて改革した明治維新政府が、東京と名を変えたもとの江戸の地に来たのでございまして、江戸で改革をしようとした間は全く成果が上がっておりません。同様に、今もなかなか改革の成果は上がっていないと言わざるを得ないと考えております。
 次に、東京集中は自然に起こっているんだ、これは経済の流れであると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます。
 戦後、昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制と言われる中で、官僚が猛烈な勢いで東京一極集中を無理やり進めてまいりました。そのやり方というのは、まず、産業、経済の中枢管理機能を全部東京に移す。そのために、全国的な産業団体の事務局は東京都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。
 だから、もともと大阪にありました繊維業界の団体も、強引に、あの日米繊維交渉のときに無理やり東京に移しました。十年かけて移しました。名古屋にありました陶磁器工業会も移しました。京都にあった伝統産業振興会も東京に移しました。
 かくして、主要な企業の本社は東京に移らざるを得ない。団体が東京に移りますと、団体の長になるような大企業の社長は、何々工業会の団体長になりますと週に三回ぐらい東京に呼び出される仕掛けになっていますから、地方に本社を置いていられない。これでどんどんと移転した。これが第一であります。
 二番目は、情報発信機能を、世界じゅうで類例がなく、日本だけが東京一極集中いたしました。
 例えば、印刷関係で申しますと、元売を東京一極に集中しております。今これがまた問題になっておりますけれども、東京にしか日販とかトーハンとかいう元売会社はございません。したがって、関西で出版していたエコノミストやPHPは発行が一日おくれる。大阪で印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず東京へ持ってこなけりゃならなくなっております。これは非常に強い犠牲でございます。したがって、雑誌の場合は締め切りが一日早くなる。これで東京以外で雑誌をつくることができなくなりまして、全部東京へ無理やり移しました。これは国土政策懇談会でも何回も問題になりましたが、政府、官僚の方は頑固に譲りません。香川県や長野県でも元売をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。
 また、電波につきましては、世界に類例のないキー局システムをつくって、キー局は東京にしか許されていない。そして、キー局でないと全国番組編成権がございませんから、すべて東京都スルーの情報しか流れないようになっています。
 さらに、文化創造活動も東京に集中いたしました。だから、特定目的の施設、例えば歌舞伎座でありますとか格闘技専門体育館でありますとかいうのは、補助金の関係で東京にしかつくれないようになっています。これで歌舞伎役者は全員東京に住むようになって、関西歌舞伎は一人もいなくなりました。あるいはプロレス団体も、東北地方にみちのくプロレス、大阪に大阪プロレスがあるだけで、四十団体はことごとく東京に集められました。
 さらに、最近は、BS放送七局を全部東京にしか許可しないという制度になっています。
 こういった官僚の強引な、コストを無視した集中制度によって東京に集まっている、このことも重要なことだと思っております。
 したがいまして、日本全体が一律の情報環境になり、大量販売、規格大量生産には向いておりましたが、没個性、均質社会になった。対面情報を重視するために、人脈重視、選別的な官僚主導が行われるようになりました。また、文化創造活動も、もたれ合いの社会になって、世論が一色になってしまいました。こういったことは、新しい知価社会においては大変不利なことであります。このために日本の地位が、この十年間、世界じゅうが知価社会が進むに従って、猛烈な勢いで低下しています。
 例えば国際競争力の順位、これはスイスの研究所が示しているものでありますが、八九年には世界一であったのが、今は三十位であります。また証券取引も、これは上場株式時価総額でございますが、六百十一兆円から二百四十八兆円に落ち、外国株の上場件数も、百三十件ぐらいありましたのが、今は四十件以下になってしまっている。日本の東京証券取引所はほとんど無視される状態です。
 さらに、コンテナヤードの取扱高を見ても、八九年には神戸が五位、横浜が十二位でございましたが、今やずっと下の方になって、香港や釜山に比べて、日本じゅうのコンテナヤードを足しても及ばないというところまで落ち込んでしまいました。これは、ことごとく東京集中の結果であります。
 さらに恐ろしいことは、九六年から東京集中が非常に激しくなっているということでございます。人口も、九六年ごろには首都圏への集中は一時とまりましたけれども、去年あたりはかつてないほどのすごい勢いで東京集中が進んでいます。わずか二年余り前、私がIT担当大臣のときに、地方のITソフト関係者で、有能な、有望な新人、若者を二百人ほどリストアップしましたが、たった二年の間に、そのほとんどが東京へ蝟集しています。猛烈な勢いで東京に集められている。だから、地方の空洞化は猛烈な勢いでまだまだ進んでいるということです。
 この現象は、諸外国とは全く逆でございます。よく、日本だけではなしに、これは文明の流れであって、世界的にそうだろうと言う人がおりますが、七ページの表を見ていただきますとわかりますように、アメリカでもフランスでもロンドンでも首都の比重は低下しています。地方が盛んになって、首都圏の比重は低下しています。
 これは、専ら日本が、無理やり官僚主導で首都に、東京に集めてきたことを示しているかと思います。このままで日本が進みますと、アルゼンチンの形を再現するのではないか、最近、国際的にもそういう評価が出てまいりました。
 アルゼンチンはグラン・ブエノスアイレスという、国土面積で〇・一三%のところに人口、機能が集中しておりまして、特に地主階級、日本でいえば本社機能でございますが、これがそこにある。そして、農業をやっているところ、工場をやっているところには代理人、支店しか置いていない。このために、ブエノスアイレスに社交場ができまして、しょっちゅう顔を合わす対面情報になった。だから、これが非常に社会を固定いたしまして、どんどんと一律化し、現在では、だれが見ても発展途上国になりました。百年前、二十世紀の初めには、アルゼンチンは世界有数の豊かな国であります。「母を尋ねて三千里」という小説は、貧しいイタリアから豊かなアルゼンチンを目指す話なんですが、今は全く逆になっています。
 それに比べてブラジルは、とかくの批判がありますけれども、ブラジリアをつくったおかげで、アルゼンチンよりもはるかに経済力が上になりました。この事実はやはり見逃せない点だと考えております。特に、これから申します私たちの発想では、財政的にも非常に有利でございますので、ぜひ考えていただきたいと思っています。

 ところで、そのような東京一極集中はどこから起こっているか。
 まず第一は、官僚主導でございます。十一ページの図を見ていただきますと、日本の官僚制度の正体について書いております。これは、日本では官僚が真ん中におりまして、国会の先生方と内閣を双方根回しする仕掛けになっています。イギリスは同じ議会内閣制でございますが、右の図のように内閣が真ん中にあって、官僚が内閣の注文にこたえて内閣に回答を出す、そして内閣が国会に責任を持つ、こういう形になっています。だから、内閣にはたくさんの閣外相が入っておりまして、日本でいう副大臣のような方々がたくさんおられまして、これに対応する。官僚が国会議員と直接接することは禁止されています。こういうようなことができておるので、官僚主導ができない、進まない。そのおかげで、今やロンドンにいる国家公務員は、十五万人から八万六千人まで減らすことができました。
 さらに十三ページをごらんいただきますと、日本の官僚は、それだけではなしに、縦に貫かれた形になっています。つまり、先ほど申しましたA機能、立法とそれに関係の深い企画審議をする機能、それから調査統計をする機能、記録保全をする機能、全部同じ省に属しています。したがって、大蔵省からも経産省からも内閣府からも、いろいろなところから景気調査が来るとか、二重三重に統計のダブりがあったり記録のダブりがあったり、その逆に、どこに本当の統計があるのか、記録があるのか非常に探しにくい。今問題になっております住民の登録台帳にいたしましても各省別々、社会福祉あるいは納税、住民台帳、全部別々につくる。しかもそれが自治体まで貫かれておりまして、この人脈の中で情報が動く、こういう仕掛けになっています。これが最大の問題であります。
 それで、これを、次の十五ページにございますように、一つの場所、第一の地区は、国会、内閣、そしてA機能、企画審議機能、それに伴う執行機関、これだけを移す。そして第二の地区には、調査統計機能、それに伴う執行、この部分を移します。これは人数では相当大きな部分、西ドイツがボンに残した機能とほとんど同じでございますが、これがかなり大きな部分を占めます。そして三番目の地区には、最高裁判所と権利関係、保全をしなければならない記録、こういった機能を移します。そして、この間を五ギガビット程度の情報機関で結びまして、だれでもアプローチできるような方法をとる。この間が通信情報で行き来しておりますと、政府部内、同じ省庁だけではなくして、どなたにでも接近できる、そういった、透明で、迅速で、公平で、安価な通信社会ができるだろうと考えています。
 それで、どの程度の規模になるか。先ほどお金の話もちょっといたしましたので、そのことを十七ページで見ていただきたいと思います。
 これで移転いたしますと、大体、政府関係者が二万五千人ほど移転いたします。東京に残る人が少しあります、国立劇場とか国立博物館とかいうのがございますので、少しありますが、大部分の方が移転されるとして、二万五千人であります。第一地区に移転する人は国会とA機能で約一万人、第二地区が一万人、第三地区が最高裁判所とC機能で五千人。このA機能の中には、大使館あるいは国事行事を行う施設が含まれることになります。それに準首都機能、マスコミの人とか報道機関、政党職員等を加えて出しまして、さらにサービス従業員を計算いたしますと、想定される人口は、第一地区が八万四千人、第二地区が六万八千人、第三地区が三万六千人、合計十八万八千人。当然のことながら、地元で雇用する職員がおります。これは、大体二千人プラス二〇%というのは非常に低く見た数字でございますが、そういたしますと、そこに新たに居住する人は十四万六千人でございます。
 これらの数値をもとに、どの程度の規模のものになるかというのを計算いたしますと、十八ページにございますように、面積でいいますと、第一地区が六百ヘクタール、第二地区が四百ヘクタール、第三地区が二百ヘクタール。居住人口をそれぞれ出しておりますが、これで多摩ニュータウンなどよりはもう少し、大体同じぐらいの余裕を持つ場所にいたしますと、このような面積でいいわけです。
 これが、審議会では、八千五百ヘクタールという途方もない大きな数字になっています。この数字になったのは、まず一カ所に出すということもありますけれども、とにかく東京の過密を和らげる目的だから大勢移さなきゃ意味がないというものが働いたわけです。
 なお、十九ページには、これで幾らかかるかということでございますが、公的負担分は、この計算では一兆五百億円になっております。一兆五百億円でございます。これは、関西空港などに比べますと数分の一という大きさになりまして、建設事業としては非常に小さな規模でできます。この金額でございますと、恐らくこれよりもかなり下回る金額ででき上がるんじゃないか、万国博覧会その他の事業から見て。そのような計算ができると思っております。
 こうしておきますと、過度に集中することはありません。よく、首都機能を移せばそこにまた民間企業が集まるだろうと言う人がございますけれども、通信情報社会が完成いたしますので、再び集中することがございません。また、これが国家の抜本的な改革になることは明らかであります。
 まず第一に、財政が決定的に改革できます。重複行政が解消し、人員が減らせる。警備が簡略化できる。
 あるいは、通信情報社会によりまして交通費が軽減できる。実は日本は、国土は狭いのですが、民間企業総交通費あるいは民間企業交際費総額は、GNP当たりで見ますと、アメリカやドイツよりも何倍も高いんですね。この状態が解消できると思います。
 それから、建設国家という思想が崩れる。規格大量生産思想から脱却できる。
 そして、先ほど申しましたように、国有地の売却等で、建設費を除いて一兆数千億円の収入が上げられる。
 二番目には、官僚主導を完全に解消することができます。これでこそ初めて日本の改革が成り立つ。
 過去、日本の歴史の中で何度も改革を行いました。平清盛の力を持ってしても、享保の改革にしても、全部失敗でありました。首都機能の移せない改革で成功した、進歩的改革は一度もございません。したがって、やはりこれが最終的な改革の問題になろうと思っています。
 また、建設型から生活型への思想転換、例えば、貯蓄は良で消費は悪だとか、建設はいいけれども観光はいかぬとか、そういった思想も抜本的に変わると思います。
 何よりも重要なことは人心の一新でございまして、今まさに日本は非常に閉塞感に満ちあふれております。私も東京大学で講座を持っておりますけれども、若い人の未来に対する、日本に対する非常な悲観論が満ちあふれています。これを打破する一番確実な方法だろうと思っています。
 ぜひこういうことをお考えいただきまして、当委員会が、この首都機能の移転の問題を正道に戻して、国家を改革する文明的、社会的、経済的大事業として、費用はかからないけれども大事な事業だとして、もう一度御審議いただき、本当に国家百年以上、国家数百年の大計をお立ていただくことをお願いしたいと思っております。
(引用ここまで)


なお、おまけ情報ですが、先日書いたThe World's Most Sustainable Companiesに入っている製造業について、中心的な拠点の所在地を並べると、大まかにこんな具合になります。

14位 日東電工(本社:大阪市、国内主要拠点:大阪府茨木市、宮城県大崎市、埼玉県深谷市、愛知県豊橋市、三重県亀山市、滋賀県草津市、広島県尾道市)
30位 ソニー(本社:東京、国内主要拠点:東京、神奈川県厚木市、神奈川県藤沢市、宮城県多賀城市、他多数)
35位 三菱重工(本社:東京、横浜市、国内主要拠点:横浜市、長崎市、兵庫県高砂市、広島市、広島県三原市、横浜市、名古屋市)
59位 ヤマハ(本社:浜松市、国内主要拠点:静岡県掛川市、静岡県磐田市、浜松市、埼玉県ふじみ野市)
70位 コニカミノルタ(本社:東京、国内主要拠点:東京、東京都八王子市他、埼玉県狭山市、神奈川県厚木市、山梨県甲府市、大阪市、堺市、大阪府高槻市他、兵庫県伊丹市、他)
71位 リコー(本社:東京、国内主要拠点:神奈川県海老名市、茨城県ひたちなか市、大阪府池田市、横浜市、宮城県名取市、他)
72位 東京エレクトロン(本社:東京、国内主要拠点:子会社化したところが全国に散らばっているので省略)
74位 大正製薬(本社:東京、国内主要拠点:さいたま市、埼玉県羽生市、岡山県勝田郡勝央町)
79位 NEC(本社:東京、国内主要拠点:東京、川崎市、東京都府中市、神奈川県相模原市、千葉県我孫子市、奈良県生駒市、大津市、他)
80位 パナソニック(本社:大阪府門真市、国内主要拠点:大阪府門真市、大阪府守口市、横浜市、京都府長岡京市、滋賀県草津市、大阪府高槻市、他多数)
82位 日産自動車(本社:横浜市、国内主要拠点:神奈川県横須賀市、神奈川県厚木市、横浜市、他多数)
82位 トヨタ自動車(本社:愛知県豊田市、国内主要拠点:静岡県裾野市、名古屋市、愛知県愛知郡長久手町、他)

メーカー関連では、東京一極集中はそれほど酷くないですが、それでも社史のどこかの段階で本社を東京に移さざるを得なくなった企業は多いようです。

2011年2月4日金曜日

The World's Most Sustainable Companies

またまたForbesの記事ネタです。
The World's Most Sustainable Companies

毎年更新されていると思いますが、世界の大企業の「持続性」のランキングです。何をもってポイントにしているのかは、元記事を辿ってみて下さい。
Forbesの記事ではありますが、ランキングを出しているのはカナダの企業のようです。

例によって、日本企業だけ抜き出してみます。

14 NITTO DENKO CORP*
23 AEON CO LTD
24 T&D HOLDINGS INC
30 SONY CORP*
32 MITSUI OSK LINES LTD
35 MITSUBISHI HEAVY INDUSTRIES*
49 TOKYO GAS CO LTD
53 DAIWA HOUSE INDUSTRY CO LTD
54 NIPPON YUSEN
59 YAMAHA CORP*
69 NTT DOCOMO
70 KONICA MINOLTA INC*
71 RICOH CO LTD*
72 TOKYO ELECTRON LTD*
74 TAISHO PHARMACEUTICAL CO LTD*
79 NEC CORP*
80 PANASONIC CORP*
81 NISSAN MOTOR CO LTD*
82 TOYOTA MOTOR CORP*

ベスト100の中に日本企業は19社。これは国別では最大です。実態のあやしいGDP規模では以前より存在感が薄れつつある日本経済ですが、虚業では無い部分にこそ底力があります。特に、日東電工はさすがですね。BtoBのおつきあいでしたが、私の昔からのお気に入りの会社のひとつです。
大小合わせて息の長い企業が多いのが日本の特徴ですから、この良さを失わないようにしてほしいですね。
なお、「*」印は製造業に分類される会社です。19社中12社が製造業です。
製造業ガンバレ!

MN