2011年2月13日日曜日

閉塞感はどこから来るか?

バブル崩壊以降の20年間、日本社会の閉塞感がじわじわとですが確実に強まってきて、いっこうに明るい雰囲気が漂わないですね。特にここ2年くらいは、企業の採用までどんどん萎んできて、大学生にも閉塞感が漂っています。
ここらで、「平成維新」とも言うべき大改革をやらなければならないのではないかとすら思います。

衆議院議事録の第156回国会 国会等の移転に関する特別委員会 第4号に、経済企画庁長官も勤めたことのある堺屋太一さんの有名な参考人意見の議事録があります。ちょうど8年前の委員会です。ここに、私も前々から感じていることのかなりの部分が、私よりはるかにすっきりとした頭で消化した上で述べられています。つたない文章を自分で書くより、これを読んでもらったほうがよほど解りやすいので、私の無駄なコメント無しに、転載させていただきます。

MN

(ここから堺屋太一さんの発言)
 首都機能移転の問題につきましては、私、二十年ぐらい研究をしてまいりまして、十年ほど前に、この移転に関する法律案も作成していただきました。ところが、その趣旨が徐々に変わってまいりました。
 そもそも、この首都機能の移転は、日本の経済、社会、文化の各面を抜本的に変更しようという大国家事業として考えられました。
 戦後、日本は、規格大量生産型の近代工業社会の確立を目指して、官僚主導、建設優先、東京集中の体制をとってまいりました。この結果、八〇年代には、日本は世界一規格大量生産の上手な国になり、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこともございます。しかし、その八〇年代のうちに世界の文明が変革をいたしまして、多様な知恵の時代になってまいりました。それにふさわしいものに日本を改革しなければならない、そういった発想から、この首都機能移転の問題が不可欠であるという考え方が生まれてきたわけであります。この考え方は、現在の世界、日本の情勢に関して、全く正しいものだと考えております。
 ところが、九〇年代も後半に入りまして、首都機能移転の問題が政府、審議会で議論されるようになりますと、場所の選び方と費用の問題に話題が集中いたしました。このために、話が徐々に、東京の過密防止と地震対策に矮小化されてまいりまして、公共事業の一種と理解されることが多くなりました。これが最大の問題、間違いの始まりであります。
 このため、東京の過密防止ならば移転する人口が一定以上多くなけりゃいかない、大規模でなければならないという考え方が生まれてまいりました。
 また、場所選びということから各地が立候補なさいまして、そのために地域運動と考えられるようになりました。これは、六〇年代、富士山のすそ野がいいとかいろいろ言われたときはまさに地域運動であったんですが、そこへ戻ってしまった。文明の変化に対応した事業ではなくなってまいりました。これに対して、東京の不動産業者及び東京で受注の多い建設業者が組織的な反対をし出したことは、むしろ当然であったと思います。
 ここで重要なことは、首都機能の移転問題の本質に立ち返りまして、経済、社会の構造変革の国家的事業として正確な審議をお願いしたいということでございます。当委員会が新たに人数をふやし発足されましたことに、非常に期待しているところであります。
 これから申し上げようと思うことの趣旨を、一言にしてまず最初に申し上げておきたいと思います。
 東京一極集中は、一九九〇年以降の日本の経済が停滞し、社会が混迷しております重大な原因であります。これは、あらゆる検証で証明されているところであります。
 知価社会が深まるにつれまして、諸外国では、政治と行政の中心と経済や文化の中核とが分離分散する方向にあります。その中で、日本だけが全機能を東京に一極集中して、規格大量生産型の構造の強化をしております。このために、多様な知識、知恵が創造されない。そして、迅速で安価な通信情報は発達しない。いつまでたっても対面情報、人に会わないと情報が交換できないという困った情勢になっております。
 特に近年に至りまして、過去二十年余、地方分散、地方分権が熱心に唱えられてきましたが、現実には、官僚機構が非常に強力に東京一極集中の政策をとっておりますために、地方は空洞化いたしました。東京一極集中は自然に行われているのではなくして、後に述べますように、官僚の大変な努力によりまして起こっていることでございまして、日本特有の現象であります。
 特に、九六年以降、経済、文化、情報発信、国際関係の一極集中が非常に急激になりまして、地方の経済、文化が危うくなるばかりか、日本の文化的多様、創造性というものが失われてまいりました。
 したがいまして、通信情報社会の発達、これがこの十年間の大変な世界の流れでございますけれども、この世界の急速なグローバル化、情報化に対しまして、通信情報社会の迅速、公平、正確、透明、安価な情報交換が必要になっています。こういったことを日本も行わないと、日本飛ばし、日本の国際的な地位の低下が猛烈な勢いで進んでおります。

 そこで、私がこれから提案したいのは、実は一番本音のところでございまして、立法、司法、政府の機能を三つに分割して移転するのが最良であるということでございます。
 まず、国家の機能の中には、立法機能と、それに関係の深い行政府の政策の企画審議機能、これをA機能あるいは企画審議機能と申してもいいでしょう。そういうものと、第二番目に、行政機能のうちで、統計、調査及び基礎的な研究を行う機能、これをB機能または統計調査機能と呼べると思います。そして、司法と、それにかかわりの深い行政府の記録、保全の機能、保記機能、C機能との三種類の機能があります。
 この三種類の機能をそれぞれ別個の場所に移転する。そのことによりまして日本の通信情報社会を徹底させるとともに、財政の抜本的な改革、文明の大幅な前進を期待したいところであります。また、そういたしますと、地震やテロに対する災害対応力も非常に高いものになると思います。
 さらに、首都機能の移転のコストがよく問題になりますが、この方式でございますれば、総事業費大体三兆円、公的負担が一兆円前後ということになります。
 これに対しまして、現在、東京にございます首都機能関係の行政財産の土地評価が四兆七千億円ございますから、これの二分の一を売っても二兆三千億円の収入があります。残り二分の一は東京の開発、安全のために使用するといたしまして、二兆四千億円。そのほかに、公務員宿舎の土地など約七千億円がございますが、そういったものを活用して東京を活性化していく。
 そういたしますと、費用が一兆円少々、収入が二兆三千億円以上でございますから、財政には一兆三千億円以上の収入があります。
 首都機能の移転は、まず、そういう移転による財政の収入が非常に高まる、これが第一であります。また、その後の運営費等、かなり細かい計算でございますが、財政の抜本的な改革の現実的な唯一の方法ではないかと考えております。
 以上のように、首都機能の三機能分離移転はいろいろな効果があります。
 まず、通信情報社会を形成して、日本の国を公平で迅速で安価で正確で、そういう情報社会に変えることができます。
 二番目には、清潔な政治行政ができます。そもそも、日本の政治行政にさまざまな問題がありますのは、何よりも対面情報、つまり、人脈を通さないとなかなか情報が得られない。東京に出張してきて、あるいは東京に居住や本店を移しまして、常に官僚と顔を突き合わせていないと情報が得られない。この不公正さがもとでございます。これが完全になくなります。
 また、多様な知価の創造が生まれます。いろいろな地域、いろいろな環境の中から新しい知価が創造される。東京一極集中によりまして頭脳機能が東京のごく狭い範囲に閉じ込められている、この状況が打ち破られまして、開放的なことになるでしょう。
 そして、地方分権、地方分散が確実に実行されます。
 また、災害対応力が非常に強まります。
 そして、先ほど申しましたように財政が大幅に改善できます。
 以上のことから、首都機能の移転は非常に必要かつ重要な仕事だと考えております。

 さて、改めて首都機能の移転を申し上げますと、東京一極集中では、日本経済の復活、日本社会の復活はあり得ないだろう。これまで、平成になりましてから十五年間、十一人の総理大臣がいろいろな改革を宣言してまいられました。しかし、依然として十分なことはできておりません。それというのも、日本の社会というのが、東京一極集中、官僚主導、そして建設優先という日本の戦後の形に完全にはまり込んでいるからであります。
 日本の歴史をひもときますと、あらゆる時代が首都機能の場所で呼ばれています。飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして今、東京時代でありますが、この状況を見ますと、すべて、首都機能が移転したら必ず時代が変わった、首都機能を移転しない限り時代は変わらなかったことを示しています。
 例えば、江戸から東京に移るとき、黒船がやってまいりましたのは、嘉永六年、一八五三年ですが、それから十年間は何の変化も起こっていないんです。安政の大獄等いろいろございましたけれども、行ったり来たり、むしろ保守化が進んだだけであります。
 ところが、文久三年、一八六三年に、将軍家茂と、その後見役でありました後の十五代将軍慶喜が京都に移転します。それに伴って、諸大名、有力大名もことごとく京都に移転します。したがって、このとき首都機能は完全に京都に移転したんです。それからの五年間、明治元年までの五年間にすべての改革が行われました。
 そして、改めて改革した明治維新政府が、東京と名を変えたもとの江戸の地に来たのでございまして、江戸で改革をしようとした間は全く成果が上がっておりません。同様に、今もなかなか改革の成果は上がっていないと言わざるを得ないと考えております。
 次に、東京集中は自然に起こっているんだ、これは経済の流れであると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます。
 戦後、昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制と言われる中で、官僚が猛烈な勢いで東京一極集中を無理やり進めてまいりました。そのやり方というのは、まず、産業、経済の中枢管理機能を全部東京に移す。そのために、全国的な産業団体の事務局は東京都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。
 だから、もともと大阪にありました繊維業界の団体も、強引に、あの日米繊維交渉のときに無理やり東京に移しました。十年かけて移しました。名古屋にありました陶磁器工業会も移しました。京都にあった伝統産業振興会も東京に移しました。
 かくして、主要な企業の本社は東京に移らざるを得ない。団体が東京に移りますと、団体の長になるような大企業の社長は、何々工業会の団体長になりますと週に三回ぐらい東京に呼び出される仕掛けになっていますから、地方に本社を置いていられない。これでどんどんと移転した。これが第一であります。
 二番目は、情報発信機能を、世界じゅうで類例がなく、日本だけが東京一極集中いたしました。
 例えば、印刷関係で申しますと、元売を東京一極に集中しております。今これがまた問題になっておりますけれども、東京にしか日販とかトーハンとかいう元売会社はございません。したがって、関西で出版していたエコノミストやPHPは発行が一日おくれる。大阪で印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず東京へ持ってこなけりゃならなくなっております。これは非常に強い犠牲でございます。したがって、雑誌の場合は締め切りが一日早くなる。これで東京以外で雑誌をつくることができなくなりまして、全部東京へ無理やり移しました。これは国土政策懇談会でも何回も問題になりましたが、政府、官僚の方は頑固に譲りません。香川県や長野県でも元売をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。
 また、電波につきましては、世界に類例のないキー局システムをつくって、キー局は東京にしか許されていない。そして、キー局でないと全国番組編成権がございませんから、すべて東京都スルーの情報しか流れないようになっています。
 さらに、文化創造活動も東京に集中いたしました。だから、特定目的の施設、例えば歌舞伎座でありますとか格闘技専門体育館でありますとかいうのは、補助金の関係で東京にしかつくれないようになっています。これで歌舞伎役者は全員東京に住むようになって、関西歌舞伎は一人もいなくなりました。あるいはプロレス団体も、東北地方にみちのくプロレス、大阪に大阪プロレスがあるだけで、四十団体はことごとく東京に集められました。
 さらに、最近は、BS放送七局を全部東京にしか許可しないという制度になっています。
 こういった官僚の強引な、コストを無視した集中制度によって東京に集まっている、このことも重要なことだと思っております。
 したがいまして、日本全体が一律の情報環境になり、大量販売、規格大量生産には向いておりましたが、没個性、均質社会になった。対面情報を重視するために、人脈重視、選別的な官僚主導が行われるようになりました。また、文化創造活動も、もたれ合いの社会になって、世論が一色になってしまいました。こういったことは、新しい知価社会においては大変不利なことであります。このために日本の地位が、この十年間、世界じゅうが知価社会が進むに従って、猛烈な勢いで低下しています。
 例えば国際競争力の順位、これはスイスの研究所が示しているものでありますが、八九年には世界一であったのが、今は三十位であります。また証券取引も、これは上場株式時価総額でございますが、六百十一兆円から二百四十八兆円に落ち、外国株の上場件数も、百三十件ぐらいありましたのが、今は四十件以下になってしまっている。日本の東京証券取引所はほとんど無視される状態です。
 さらに、コンテナヤードの取扱高を見ても、八九年には神戸が五位、横浜が十二位でございましたが、今やずっと下の方になって、香港や釜山に比べて、日本じゅうのコンテナヤードを足しても及ばないというところまで落ち込んでしまいました。これは、ことごとく東京集中の結果であります。
 さらに恐ろしいことは、九六年から東京集中が非常に激しくなっているということでございます。人口も、九六年ごろには首都圏への集中は一時とまりましたけれども、去年あたりはかつてないほどのすごい勢いで東京集中が進んでいます。わずか二年余り前、私がIT担当大臣のときに、地方のITソフト関係者で、有能な、有望な新人、若者を二百人ほどリストアップしましたが、たった二年の間に、そのほとんどが東京へ蝟集しています。猛烈な勢いで東京に集められている。だから、地方の空洞化は猛烈な勢いでまだまだ進んでいるということです。
 この現象は、諸外国とは全く逆でございます。よく、日本だけではなしに、これは文明の流れであって、世界的にそうだろうと言う人がおりますが、七ページの表を見ていただきますとわかりますように、アメリカでもフランスでもロンドンでも首都の比重は低下しています。地方が盛んになって、首都圏の比重は低下しています。
 これは、専ら日本が、無理やり官僚主導で首都に、東京に集めてきたことを示しているかと思います。このままで日本が進みますと、アルゼンチンの形を再現するのではないか、最近、国際的にもそういう評価が出てまいりました。
 アルゼンチンはグラン・ブエノスアイレスという、国土面積で〇・一三%のところに人口、機能が集中しておりまして、特に地主階級、日本でいえば本社機能でございますが、これがそこにある。そして、農業をやっているところ、工場をやっているところには代理人、支店しか置いていない。このために、ブエノスアイレスに社交場ができまして、しょっちゅう顔を合わす対面情報になった。だから、これが非常に社会を固定いたしまして、どんどんと一律化し、現在では、だれが見ても発展途上国になりました。百年前、二十世紀の初めには、アルゼンチンは世界有数の豊かな国であります。「母を尋ねて三千里」という小説は、貧しいイタリアから豊かなアルゼンチンを目指す話なんですが、今は全く逆になっています。
 それに比べてブラジルは、とかくの批判がありますけれども、ブラジリアをつくったおかげで、アルゼンチンよりもはるかに経済力が上になりました。この事実はやはり見逃せない点だと考えております。特に、これから申します私たちの発想では、財政的にも非常に有利でございますので、ぜひ考えていただきたいと思っています。

 ところで、そのような東京一極集中はどこから起こっているか。
 まず第一は、官僚主導でございます。十一ページの図を見ていただきますと、日本の官僚制度の正体について書いております。これは、日本では官僚が真ん中におりまして、国会の先生方と内閣を双方根回しする仕掛けになっています。イギリスは同じ議会内閣制でございますが、右の図のように内閣が真ん中にあって、官僚が内閣の注文にこたえて内閣に回答を出す、そして内閣が国会に責任を持つ、こういう形になっています。だから、内閣にはたくさんの閣外相が入っておりまして、日本でいう副大臣のような方々がたくさんおられまして、これに対応する。官僚が国会議員と直接接することは禁止されています。こういうようなことができておるので、官僚主導ができない、進まない。そのおかげで、今やロンドンにいる国家公務員は、十五万人から八万六千人まで減らすことができました。
 さらに十三ページをごらんいただきますと、日本の官僚は、それだけではなしに、縦に貫かれた形になっています。つまり、先ほど申しましたA機能、立法とそれに関係の深い企画審議をする機能、それから調査統計をする機能、記録保全をする機能、全部同じ省に属しています。したがって、大蔵省からも経産省からも内閣府からも、いろいろなところから景気調査が来るとか、二重三重に統計のダブりがあったり記録のダブりがあったり、その逆に、どこに本当の統計があるのか、記録があるのか非常に探しにくい。今問題になっております住民の登録台帳にいたしましても各省別々、社会福祉あるいは納税、住民台帳、全部別々につくる。しかもそれが自治体まで貫かれておりまして、この人脈の中で情報が動く、こういう仕掛けになっています。これが最大の問題であります。
 それで、これを、次の十五ページにございますように、一つの場所、第一の地区は、国会、内閣、そしてA機能、企画審議機能、それに伴う執行機関、これだけを移す。そして第二の地区には、調査統計機能、それに伴う執行、この部分を移します。これは人数では相当大きな部分、西ドイツがボンに残した機能とほとんど同じでございますが、これがかなり大きな部分を占めます。そして三番目の地区には、最高裁判所と権利関係、保全をしなければならない記録、こういった機能を移します。そして、この間を五ギガビット程度の情報機関で結びまして、だれでもアプローチできるような方法をとる。この間が通信情報で行き来しておりますと、政府部内、同じ省庁だけではなくして、どなたにでも接近できる、そういった、透明で、迅速で、公平で、安価な通信社会ができるだろうと考えています。
 それで、どの程度の規模になるか。先ほどお金の話もちょっといたしましたので、そのことを十七ページで見ていただきたいと思います。
 これで移転いたしますと、大体、政府関係者が二万五千人ほど移転いたします。東京に残る人が少しあります、国立劇場とか国立博物館とかいうのがございますので、少しありますが、大部分の方が移転されるとして、二万五千人であります。第一地区に移転する人は国会とA機能で約一万人、第二地区が一万人、第三地区が最高裁判所とC機能で五千人。このA機能の中には、大使館あるいは国事行事を行う施設が含まれることになります。それに準首都機能、マスコミの人とか報道機関、政党職員等を加えて出しまして、さらにサービス従業員を計算いたしますと、想定される人口は、第一地区が八万四千人、第二地区が六万八千人、第三地区が三万六千人、合計十八万八千人。当然のことながら、地元で雇用する職員がおります。これは、大体二千人プラス二〇%というのは非常に低く見た数字でございますが、そういたしますと、そこに新たに居住する人は十四万六千人でございます。
 これらの数値をもとに、どの程度の規模のものになるかというのを計算いたしますと、十八ページにございますように、面積でいいますと、第一地区が六百ヘクタール、第二地区が四百ヘクタール、第三地区が二百ヘクタール。居住人口をそれぞれ出しておりますが、これで多摩ニュータウンなどよりはもう少し、大体同じぐらいの余裕を持つ場所にいたしますと、このような面積でいいわけです。
 これが、審議会では、八千五百ヘクタールという途方もない大きな数字になっています。この数字になったのは、まず一カ所に出すということもありますけれども、とにかく東京の過密を和らげる目的だから大勢移さなきゃ意味がないというものが働いたわけです。
 なお、十九ページには、これで幾らかかるかということでございますが、公的負担分は、この計算では一兆五百億円になっております。一兆五百億円でございます。これは、関西空港などに比べますと数分の一という大きさになりまして、建設事業としては非常に小さな規模でできます。この金額でございますと、恐らくこれよりもかなり下回る金額ででき上がるんじゃないか、万国博覧会その他の事業から見て。そのような計算ができると思っております。
 こうしておきますと、過度に集中することはありません。よく、首都機能を移せばそこにまた民間企業が集まるだろうと言う人がございますけれども、通信情報社会が完成いたしますので、再び集中することがございません。また、これが国家の抜本的な改革になることは明らかであります。
 まず第一に、財政が決定的に改革できます。重複行政が解消し、人員が減らせる。警備が簡略化できる。
 あるいは、通信情報社会によりまして交通費が軽減できる。実は日本は、国土は狭いのですが、民間企業総交通費あるいは民間企業交際費総額は、GNP当たりで見ますと、アメリカやドイツよりも何倍も高いんですね。この状態が解消できると思います。
 それから、建設国家という思想が崩れる。規格大量生産思想から脱却できる。
 そして、先ほど申しましたように、国有地の売却等で、建設費を除いて一兆数千億円の収入が上げられる。
 二番目には、官僚主導を完全に解消することができます。これでこそ初めて日本の改革が成り立つ。
 過去、日本の歴史の中で何度も改革を行いました。平清盛の力を持ってしても、享保の改革にしても、全部失敗でありました。首都機能の移せない改革で成功した、進歩的改革は一度もございません。したがって、やはりこれが最終的な改革の問題になろうと思っています。
 また、建設型から生活型への思想転換、例えば、貯蓄は良で消費は悪だとか、建設はいいけれども観光はいかぬとか、そういった思想も抜本的に変わると思います。
 何よりも重要なことは人心の一新でございまして、今まさに日本は非常に閉塞感に満ちあふれております。私も東京大学で講座を持っておりますけれども、若い人の未来に対する、日本に対する非常な悲観論が満ちあふれています。これを打破する一番確実な方法だろうと思っています。
 ぜひこういうことをお考えいただきまして、当委員会が、この首都機能の移転の問題を正道に戻して、国家を改革する文明的、社会的、経済的大事業として、費用はかからないけれども大事な事業だとして、もう一度御審議いただき、本当に国家百年以上、国家数百年の大計をお立ていただくことをお願いしたいと思っております。
(引用ここまで)


なお、おまけ情報ですが、先日書いたThe World's Most Sustainable Companiesに入っている製造業について、中心的な拠点の所在地を並べると、大まかにこんな具合になります。

14位 日東電工(本社:大阪市、国内主要拠点:大阪府茨木市、宮城県大崎市、埼玉県深谷市、愛知県豊橋市、三重県亀山市、滋賀県草津市、広島県尾道市)
30位 ソニー(本社:東京、国内主要拠点:東京、神奈川県厚木市、神奈川県藤沢市、宮城県多賀城市、他多数)
35位 三菱重工(本社:東京、横浜市、国内主要拠点:横浜市、長崎市、兵庫県高砂市、広島市、広島県三原市、横浜市、名古屋市)
59位 ヤマハ(本社:浜松市、国内主要拠点:静岡県掛川市、静岡県磐田市、浜松市、埼玉県ふじみ野市)
70位 コニカミノルタ(本社:東京、国内主要拠点:東京、東京都八王子市他、埼玉県狭山市、神奈川県厚木市、山梨県甲府市、大阪市、堺市、大阪府高槻市他、兵庫県伊丹市、他)
71位 リコー(本社:東京、国内主要拠点:神奈川県海老名市、茨城県ひたちなか市、大阪府池田市、横浜市、宮城県名取市、他)
72位 東京エレクトロン(本社:東京、国内主要拠点:子会社化したところが全国に散らばっているので省略)
74位 大正製薬(本社:東京、国内主要拠点:さいたま市、埼玉県羽生市、岡山県勝田郡勝央町)
79位 NEC(本社:東京、国内主要拠点:東京、川崎市、東京都府中市、神奈川県相模原市、千葉県我孫子市、奈良県生駒市、大津市、他)
80位 パナソニック(本社:大阪府門真市、国内主要拠点:大阪府門真市、大阪府守口市、横浜市、京都府長岡京市、滋賀県草津市、大阪府高槻市、他多数)
82位 日産自動車(本社:横浜市、国内主要拠点:神奈川県横須賀市、神奈川県厚木市、横浜市、他多数)
82位 トヨタ自動車(本社:愛知県豊田市、国内主要拠点:静岡県裾野市、名古屋市、愛知県愛知郡長久手町、他)

メーカー関連では、東京一極集中はそれほど酷くないですが、それでも社史のどこかの段階で本社を東京に移さざるを得なくなった企業は多いようです。

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