2017年5月1日月曜日

率川をたどる

GW特別編として、たまには研究室とまったく関係ない話をひとつ。

世の中にはいろんなマニアがいますが、地理マニアのカルト的一ジャンルとして、暗渠マニアなる人たちがいるそうです。例えば、古くからある小川や水路が、町の再開発によって蓋をされ隠されてしまった痕跡をたどるのです。

その暗渠マニアには比較的知られた存在として、奈良旧市街の「率川(いざかわ、あるいは、いさがわ、またの名を菩提川)」があります。
いまや存在感の無い水路ですが、万葉集に
 はねかづらいまする妹をうらわかみ
      いざ率川のおとの清けさ
という歌が載るほどに往時は名の知れた川だったようです。

今日は、これを探索してみました。


この地図の東端が飛火野から流れてきた水が流れ込む荒池ですが、これが率川の水源の一つのようです。荒池の南のほとりには、以前このブログでも紹介した「アインシュタインのピアノ」で(一部スジには)有名な奈良ホテルがあります。

率川が初めて地上に顔を出すのは、その少し西の猿沢池沿いです。しかし、猿沢池の七不思議のうちの2つに「出ず、入らず」(つまり流れ込む川も流れ出る川もない)というのがあることからもわかるように、率川は猿沢池とは交わらずに、畔を併走して、いずこかに消えてゆきます。

さて、ここからスタートしてみましょう。

 猿沢池の西に、歩行者しか通れない小道が西に延びています。そこを入ってすぐ左手を見ると、写真のように率川が暗渠に消える場所が現れます。
このまま小道を西に下っていきます。
 最初の辻に、いきなり石造りの欄干が現れます。絵屋橋という名が読めます。
ということは、今下ってきた小道(この写真の右手から来ました)は、まさに率川の蓋の上だったのです。
さて、そのまま小道ならぬ率川の蓋の上を進みます。
すぐに小洒落たカウンターバーが見えてきます。外国人観光客がくつろいでいます。
そこをもう少し進むと、見慣れたアーケードに出ます。
近鉄奈良駅から「ならまち」へ向かう観光客が必ず通る「もちいどのセンター街」です。
余計なお世話ですが、名付けるにあたり「センター街」はやめてほしかったです。
この写真は、もちいどのセンター街から、さきほど通ってきた「率川の蓋の上の小道」(長いので、やはり小道と呼ぶことにします)をみたところです。
もちいどのセンター街と交差した反対側はこれです。
見覚えがある人も多いのでは?
この角にあるのが「ふくろうカフェならまち」です。ふくろう達とふれあえます。
今日はふれあうつもりがないので素通りします。
この小道の途中には、あちらこちらに暗渠への出入り口であるマンホールがあります。餅飯殿(これが正しい地名です。つまり、「もちいどのセンター街」の「の」は助詞ではないのです。)近辺では、このように彩色されて美しくなっています。
でも、「汚水」は失礼だろうと思うのですが、それが暗渠になった理由の一つなのでしょう。
しばらくは小綺麗に整備されていますが、やがてこのように素っ気ない裏路地に変わります。
さて、ここまで読み進んだ人は、すでに暗渠マニア初級を終えつつありますので、お気づきでしょう。
水運に使われた水路が暗渠になった場合を除き、町中の川が暗渠になり、道になったところでは、両側にほとんど出入り口がありません。
第2の橋跡が見えてきました。この川の名がついた率川橋です。
しっかり、四隅に石の欄干が残されています。これが京都なら「四隅にいけず石か!?」と思うところですが、奈良では「いけず石」はあまり見ません。そもそも、古い道は自動車の進入自体が困難です。
(注:奈良で「古い」というのは平安時代以前のことです。牛が通れば上等です。)
小道は、南北に走る大通りである「やすらぎの道」に突き当たります。
このような近代的大通りがあると暗渠の形跡を探すのが難しくなりますが、道の向かいにこれがみつかりました。お寺ですが、「いさがわ幼稚園」という看板が出ています。
暗渠マニア初級を終えた人には、この左手の路地がそれであることはすぐに判りますが、ここで少し寄り道をします。
さきほどのいさがわ幼稚園から100mほど北に、率川神社(いさがわじんじゃ)があります。ここは、三輪山の麓にある大神神社(こちらは日本最古)の摂社で、奈良市内では最古(創建593年)の神社だそうです。

いさがわ幼稚園脇から入り、小道を抜けてゆきます。
写真は幼稚園側を振り返ったところですが、この看板になるほどと思った人は、もう中級クラスです。
しばらくすると、この長幸橋跡に出くわします。この欄干裏には竣工日が書いてあって、明治四十一年だそうです。
率川が暗渠化したのは昭和から平成初頭にかけてのことだそうで、せっかくの石造りの橋も100年も使われず、無念だったでしょう。
昭和初期に奈良に住んでいた志賀直哉は、これらの石橋を率川を見ながら渡ったんでしょうね。

さらに細い道を抜けてゆくと、このような場所に出ます。
いかにもですね。この細長い公園の下が率川です。
公園が終わった先には、つい最近まで蓋されていなかったであろう風景が続きます。
ここは上を歩けません。
それを迂回すると、先はこのように自動車整備工場の敷地になっています。
反対側は、JR奈良駅前の大通りになります。
ここから、数百メートル西、JRの線路の反対側にて率川が再び地上に顔を出し、菩提川と名を変えて、最後は佐保川に合流します。
ただし、JR奈良駅周辺は平城遷都1300年祭の前に大規模再開発されたので、率川をたどるのは上級コースになってしまいます。

今日はここまでにします。
北に100mほどでJR奈良駅です。
平成の再開発で近代的な駅になりましたが、先代の駅舎(1934年生まれ)も横に移動させて観光案内所として使われています。





余談ですが、地理部門における別のカルトに「境界マニア」なるものもあって、県境、市町村境などのあり得ない状態や、それらを跨いでしまっている建物などを嬉々として訪れるのです。
奈良市内には境界マニアにも有名な場所がありますので、また紹介します。(お盆休みかな?)