2007年8月19日日曜日

水道哲学

工藤先生も一時期籍を置いていたことのある松下電器産業の創業者(というより教祖?)、松下幸之助さんの有名な逸話です。
松下「伝記」産業と称されるくらい、松下幸之助さんについての伝記は数多く出ているのですが、長命だった幸之助さんも1989年に亡くなられており、今の大学生世代にはすでになじみが薄くなっているかと思いますので、簡単に紹介します。
松下の本来の創業は1918年だそうですが、1932年に創業記念式典なるものを開き、そこで社員に説かれたそうです。

「水道の水は、通行人がこれをいくら飲んでも咎められることはない。それは、量が多く、価格があまりにも安いからだ。松下の使命もここにある。水道の水のごとく、物質を豊富に、かつ廉価に生産提供しなければならない。その結果、貧乏を克服し、人々に幸福をもたらすことができる。」


「人間の世界には、電気冷蔵庫も医療も、水のように必要なものがある。それがもしただに等しいような値段やったら、この世から貧乏というものがなくなる。」

昭和初期のまだ多くの日本人が貧乏だった時代の話ですが、世界的視野では今でもそのまま通用するのではないでしょうか。なにも技術は高付加価値の商品を高く売るためだけに使うものではない、革新的技術によって革新的な低価格で生活に必要なものが作れるようになれば、世界中で広く使ってもらえ大勢を幸せにできる。大量に売れれば会社も幸せになり、従業員も幸せになる、ということですね。

今思うに、有機エレクトロニクスにもこの考えが有効なのではないでしょうか。
革新的に低コストで新たなエレクトロニクスが創出されるのであれば、それは至るところで水道の水のように使われるようになるのではないかと。
幸之助さんなら、どのような商売を思い描いたでしょうね。

MN

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